おすすめの14冊

ドイツ語圏の文学作品から、高校生や大学生のうちに読んでみていただきたい作品を選びました。不思議なことですが、ある年代に読まないと「グッ」とこない作品というものがあります。よい作品は、もちろん後で読んでも面白いことには面白いのですが、受ける衝撃が違います。

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そうしたドイツ語圏の文学の中から、今回はそれぞれ、伝承、運命の恋、悪魔契約、あこがれ、おそろしいこと、不気味なもの、静かで美しいもの、葛藤、誠実なこと、やさしい愛情、自尊心と没落、アイデンティティーを描いた作品と「複製芸術」批評、そして物語の「物語り」をひとつずつ選びました。ヴェルターやリルケに出会うのは、大学生の時期がちょうどよい潮時かもしれません。つまらなかったらいまは飛ばして、いつかまた読んでみてください。

『砂男』E.T.A.ホフマン

主人公ナタナエルにはクララという可愛らしい恋人がいるのですが、彼は不気味な「砂男」の悪夢に苛まれてもいます。そんなナタナエルは、故郷のクララと離れて暮らしはじめると、オリンピアという名の少女との運命的な出会いを体験してしまいます。ナタナエルがそこから逃れることのできない思いとは、一体何だったのでしょうか。読者の想像を越えるような狂気と不気味さを描いているにも関わらず、ナタナエルの心情が不思議と共感も惹き起こす魅力的な作品です。

ホフマン(1776~1822)は、昼は判事として勤め、夜は狂気の世界を描いた小説家です。その作品は幻想文学に分類され、ファンタジーの源流ともなっています。現代のサブカルチャーにも通ずるおそろしい世界を描いた作品『砂男』は、自動人形(ロボットや球体関節人形)好きにははずせない、不気味で魅力的なものを描いた小説と言えるでしょう(もっとも球体関節人形をご存じの方は多くはないかもしれないのですが)。

『水晶』シュティフター

幼い兄妹が小さな冒険を体験する物語です。クリスマスの日には、様々な問題が起きたとしても最後には必ず解決される、という欧米ではお約束の展開(海外ドラマでも定番ですね)なのですが、すがすがしい雪山の自然描写と兄妹のけなげなセリフが印象的な作品です。

シュティフター(1805~1868)はオーストリア(ドイツ語が公用語)の小説家です。画家を目指したこともあるシュティフターの自然描写は、他の作家にはない独自の静かで美しい世界を作り出しています。この世界観が気に入ったら、『みかげ石』、『石灰石』などの『石さまざま』シリーズや『晩夏』を読んでみてください。

『三人の女(トンカ)』ムージル

グリージャ、ポルトガルの女、そしてトンカの 3 人の女性についての小品集です。最後に登場するトンカはこの挿話の主人公の素朴な婚約者です。ところが、トンカは主人公との間に子どもできるには「計算が合わない」にも拘わらず妊娠してしまいます。科学的には主人公の子どもである可能性はないのですが、可愛いトンカは浮気を否定します、、、。

トンカを信じて結婚すべきか。それとも別れるべきか。主人公は、恋人を信じたい想いと浮気の確信との間で葛藤します。やがて主人公は、トンカが「夏の日にひとひら降る雪のかけら」なのだと理解するのですが、、、。

信仰が生活の基盤だった時代から科学的思考が溢れる時代への転換期である1924 年、前世紀までの固い信仰と実証主義的の新たな確信が入り交じりながら、その本質は変わらない恋愛の苦悩が描かれています。

『三人の女』はムージル全集に収録されていますが、単行本が絶版状態です。単行本化や再版を期待したいですね。

ムージル(1880〜1942)は、世紀転換期のオーストリアで活動した小説家です。未完の代表作『特性のない男』では、主人公ウールリヒのひたすら内省的な考察がシニカルな筆致で描かれ、後半では双子の妹との近親相姦的妄想が展開されます。ヨーロッパの近代小説のひとつの到達点がムージルの小説です。

『若き詩人への手紙』リルケ

作家をこころざす若者へ、先輩詩人リルケが往復書簡でアドバイスをします。リルケはこのころ精神的にも困難な時期(スランプ)を迎えていましたが、若い詩人のため、創作活動について誠実に語ります。芸術や創作活動に魅力を感じるなら、この本はよいお伴になるかもしれません。

リルケ(1875~1926)については、その詩が高く評価されますが、形而上学的な内容(存在や信仰などに関する内容)が含まれる難解な作品もあるため、ひとりで読むのは大変かもしれません。その一方で小説『マルテの手記』では、当時発展しつつあった大都市で生活することへの不安など、いま読んでも興味深いテーマを扱っています。

ところで、若い詩人はその後職業「詩人」になったと思いますか? 気になったら調べてみましょう。

『ニーベルンゲンの歌』作者不詳

ネーデルラント王ジークムントと王妃ジークリンデの子ジークフリートは、ブルグント王グンテルとブリュンヒルデとの結婚を助けます。その結果ジークフリートはクリームヒルトと結婚することができたのですが、そこから各部族を巻き込んだ戦乱が始まることになります。

「ドラゴン退治」や「隠れ蓑」など、その後も多用される道具立てを含む『ニーベルンゲンの歌』(1200 年頃)は、吟遊詩人が伝えた中世の英雄叙事詩です。『ニーベルンゲンの歌』は、バイエルンまたはオーストリアの詩人が作ったと言われていますが、アイスランドの『エッダ』や『サガ』など、北欧神話と重複する内容を含んでいます。ワーグナーの歌劇『 ニー ベルンゲンの指輪』も、この伝承と北欧神話などをあわせた大作です。

『若いウェルテルの悩み』ゲーテ

友達の恋人(婚約者)に恋をしてしまったヴェルター(ウェルテル)青年の苦悶の物語です。相手のロッテも思わせぶりなものだから、ヴェルターの苦悩は行き場を失い、もうどうしようもありません。主人公ヴェルターとロッテの手紙の遣り取りという形式で書かれていますので、ヴェルターの苦悩が痛いほど伝わってきます。

ゲーテ(1749~1832)の作品は200年後に読んでもすばらしいものです。『ファウスト』や『ヘルマンとドロテーア』などの大作もお薦めですが、受験勉強が終わって大学へ入学したら、ぜひ一度ゲーテの小さな詩をドイツ語で朗読してみてください。『旅人の夜の歌』など、「これ以外に描きようがない」と思わせるすばらしい詩があります。

『ファウスト』ゲーテ

若い頃は錬金術を試み、老年にさしかかっては魔術で地霊を呼び出そうと試みたファウスト博士のもとに、一匹のプードル(むく犬)がやってきます。それはファウストと魂を賭けて欲望を叶えようと提案に来たメフィストーフェレスでした。魔女の宴に参加し、若いグレートヒェンを悲劇に追いやり、過去や死後の世界まで旅して放蕩の限りを尽くしたファウストが「時間よ止まれ!」と感じたのは、どんな瞬間だったのでしょうか。

いわゆる「悪魔契約」もののはしりとして、現代の映画からマンガまでの元ネタになった作品です。ただ、ゲーテが『ファウスト』で描いた構図を超える作品は、映画や漫画でもいまだに現れていないと言えるでしょう。世界文学の古典的名作です。

『青い花』ノヴァーリス

青年は黄金に輝く広間を抜け、濃紺の岩壁を越えた先に淡い青色の花を夢に見ます。逃れられない夢の花を理想の女性なのだと思った青年は、彼女を捜すために旅に出ます。終わりの見えないあこがれの旅を延々と体験した末、青年はとある老人のもとに辿り着きます、、、。

『青い花』はロマン主義を代表する未完の作品ですが、そのことが一層「ロマン主義」的であるとして支持されました。憧れと愛、青の色彩、洞窟と眠り、メランコリーといったドイツ・ロマン主義の代表的なモティーフが盛り込まれ、「ロマンチック」という言葉の源流を体験できる魅力的な作品です。

ノヴァーリス、本名フリードリヒ・フォン・ハルデンベルク(1772〜1801)は、ロマン主義を体現する人物です。貴族の家に生まれ、イェーナ等で学び、その間運命的な恋人(と自分では思っていた)と秘密の婚約したりしました。恋人の死後、鉱山学校時代に詩作を始め、『夜の讃歌』などの詩も遺します。シラー、ティーク、シェリングなどとの交友関係にも恵まれ、「魔術的観念論」と名付けたロマン主義哲学の考え方に基づいて詩作を行いましたが、若くして亡くなりました。

『変身』カフカ

朝起きて自分がでっかい虫になってしまっていたら。そんなあり得ない状況に追い込まれたグレゴールのお話です。ひっくり返っても起き上がれず、仲良しだった妹に罵られても、涙も出せません。いわゆる映像メディア(映画やアニメ)ではどうしても形象化しきれない、悪夢のような世界を堪能できる小説です。

作者のカフカ(1883~1924)は、ハプスブルク帝国のプラハ(現在はチェコの首都)で活動したドイツ語で書いたユダヤ人作家です。昼間は王立の労働者傷害保険局で公務員として務め、夜は執筆するという生活を送りました。カフカの場合、書くことと生きることは表裏一体で切り離せないものでした。いまだに説明しきれない独特の不思議な世界観を持った作品には、『城』、『審判』、『流刑地にて』などがあります。

『ふたりのロッテ』ケストナー

演劇や映画、テレビアニメにもなったケストナーの児童文学作品です。まだ読んでいないひとはぜひ読んでみてください。ちょうど大学で4年間ドイツ語を頑張るとひとりでも原文を読めるような内容です。

ドイツ文学にとって第二次世界大戦(そしてユダヤ人迫害)は避けて通ることのできない重いテーマとなりました。ナチスに協力することを拒否した作家たちが次々と亡命するなかで(ナチスに迎合する作家も現れるなかで)、自らも退廃芸術の烙印を押され、秘密警察から尋問を受けながら、ケストナー(1899~1974)はベルリンに残ります。広場で自らの本が焚書される様子を群衆に紛れて見つめたケストナーは、実は自分がユダヤ人の子なのではないかと疑って育った過去がありました。

子どもたちの愉快な生活を描いた児童文学作家に過ぎないと見なされがちなケストナーですが、実は厳しいモラリストとしての視線を持ち合わせています。戦争や平和に興味のあるひとは『ケストナーの終戦日記』を読んでみるのもよいでしょう。翻訳されていない詩などに表れた容赦のない批判精神を知ると、『エーミールと探偵たち』や『飛ぶ教室』といった児童文学作品も違ったものに見えてくるかもしれません。

『ベルリン・アレクサンダー広場』デーブリーン

主人公フランツ・ビーバーコップフは、「自分はこんなものじゃない」という思いに追い立てられて犯罪に手を染める小者の悪党です。威勢のよい本人の思いとは裏腹に、彼は本物の悪人に利用され、騙され、服役し、片腕すらも失ってしまうお人好しです。そんな憎みきれないビーバーコップフに愛情を注いでくれる優しい恋人のミーツェもまた、彼の自尊心が遠因となって不幸へと転落してゆきます。

現代社会で「人生にバタ付きパン以上のものを求める者」にはきっと役に立つであろう、自尊心と没落、愛とその浪費に関する考察が含まれています。

デーブリーン(1878〜1957)は、ユダヤ系ドイツ人作家で、昼間はベルリンの下町で精神科医として診断にあたりました。作者は写真表現などで注目されたモンタージュ技法を小説に持ち込んだことでも評価 され ていますが、心理学と小説を結びつけた作家でもあります。教会から「告白の場」という社会的役割を引き継いだ精神病院で知り得た現代人に関する洞察とその適確な描写が彼の作品の魅力となっています。

『デミアン』ヘッセ

少年ジンクレールは、学校生活で挫折を経験し、居場所のなさを感じて暮らしています。そんな彼の前に不思議な眼差しを持つ美しい同級生デミアンが表れます。ジンクレールは、他の同級生とは異なった雰囲気を持つデミアンから、意志の力やカインとアベルの話について聞かされ、見知らぬ魅惑的な世界へと誘われます。しかし、そんな彼らも戦争の世界へと巻き込まれてゆきます。デミアンとジンクレールの運命はどのような結末を迎え、それは意志の力によって変えることができるのでしょうか。

ヘッセ(1877-1962)は、ドイツで生まれたスイス人作家で、同時代のトーマス・マンなどと共に二度の世界大戦を通じて小説の分野で活躍しました。他にも『車輪の下』、『ガラス玉遊戯』など、身分制社会が瓦解した後の若者のアイデンティティーの確立をテーマとした作品があります。ヘッセは、「頑張れば(勉強すれば)何にでもなれる」という現代の教育理念によってもたらされる、生まれ持った才能と挫折、親の期待と落第といった現代の若者も悩まされるアイデンティティーの問題を扱った作家です。

ヘッセは日本では1970年代にアイデンティティーの問題を描いたことが評価されました。その意味では、語り尽くされた作家と評価されていました。ところが、以前に岩手大にカザフスタンの研究者を招いた歳、彼女はヘッセがカザフスタンで再注目されていると仰っていました。

それは、現代のカザフスタンの若者にとって、いままさにアイデンティティーの問題がアクチュアルだから、だと言うのです。社会主義から別れ、資本主義的な思想が広がる時代に生きる若者にとって、アイデンティティーの危機が再び重要にテーマとなった例と言えます。

文学研究は、一度語り尽くされれば新たな発見のない、役に立たない研究と見えることもあります。しかし、別の時代、別の国、別な状況で、若者はまた若者として生まれ、社会は変遷し続けます。そして、価値ある作品は、それぞれの状況でまた新たな意味を持ち始めます。

学生のみなさんには、いまを生きるそれぞれの視点で、読むべき作品の意味を自分の言葉で語って欲しいと思います。

『複製技術時代の芸術作品』ベンヤミン

19世紀末から20世紀初頭にかけて、「複製技術」が爆発的に発達しました。ベンヤミンは絵画の芸術性を認めつつ、その「複製(コピー)」可能性に着目しました。芸術作品は、やがて写真という表現方法を獲得して機械的に複製されるようになり、当時の最新技術であった映画が「受容者」の態度を一変させます。

映像という未体験の刺激に人々は魅了され、かつてテキストや絵画、彫刻などをじっくりと鑑賞していた時代のように、対象を熟考することを忘れてゆきます。ベンヤミンの指摘は、テレビの時代を経て、ネットの時代へと変遷していく今日でも、示唆的であり続けています。

ヴァルター・ベンヤミン(1892~1940)は「世紀転換期(19世紀末から20世紀初頭にかけての時期)」に活躍した思想家です。1925年に書いた論文『ドイツ悲劇の根源』や『パサージュ論』など、興味深い論考を著しています。

『はてしない物語』エンデ

「ちび」で「でぶっちょ」、テストでは落第するコンプレックス満点のバスチアン少年は、ある日学校をサボって古本屋に逃げ込みます。そこで見つけてしまった「はてしない物語」では、緑の肌族の少年アトレーユと幸運の竜フッフールが物語の世界ファンタージエンを救おうと冒険の旅を繰り広げています。

物語の後半「はてしない物語」の世界へ入り込んでしまうことになるバスチアンは、どうやって現実世界へ帰還するでしょうか。それとも、現実のことなど全て忘れ去って物語の一部となってしまうのでしょうか。『「物語り世界」に入り込む物語』という現在でもよく使われる構図を描いたファンタジーの記念碑的児童文学作品です。

現代ドイツのファンタジー文学の旗手として登場したのが、ミヒャエル・エンデでした。エンデ作品は、『クラバート』で有名なプロイスラーなどとともに、戦後ドイツの逃避的ファンタジー文学と言われてきました。しかし、その作品は、ドイツ語圏の文学史にいわば地下水脈のように受け継がれてきた錬金術思想やメルヒェンの要素、エンデ自身の思想や様々な作品へのオマージュなどが織り込まれた重層的なものです。「子ども時代」という、いつの時代にもアクチュアルな世界と「貨幣論」や「引きこもり」などの現代的なテーマ、魔術や錬金術といった幻想的なモティーフが渾然となった物語世界に浸ってみると、目の前の現実もまた違ったものに見えてくるかもしれません。


ドイツ語で書かれた文学としては、ここに紹介した他にもグリム童話やミヒャエル・エンデなどの児童文学作家の作品が日本でも人気があります。ムージルやシュニッツラーといったオーストリア人作家もドイツ語で作品を発表しました。演劇で言えば、ビューヒナー、ブレヒト、ハントケ、イェリネックなど枚挙にいとまがありません。詩人としてはハイネやシュトルム、ヘルダーリン、トラークルなど多くの天才詩人がすばらしい作品を残しています。近年では『朗読者』を書いたシュリンクが日本でも話題になりました。ノーベル文学賞作家としては、トーマス・マンやヘルマン・ヘッセ、ヘルタ・ミュラーなどを挙げることができます。最近では、日本で生まれて日本の大学で学んだ後にドイツへ渡り、ドイツ語でも作品を発表している多和田葉子も活躍しています。近年移民が増加しているドイツ語圏では、移民の子どもであった世代の文学も注目されはじめています。

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